アンラーズヒストリー

クラブの概要(鹿島アントラーズとは)

 鹿島アントラーズの母体(前身)クラブは、住友金属サッカー部。ホームタウンは茨城県鹿嶋市、潮来市、神栖市、鉾田市、行方市の5市を中心とする近隣地域。

 チーム名のアントラー(Antler)は鹿の枝角を意味する。鹿島神宮の鹿にちなんだもので、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指す、という意味がこめられている。

 チームマスコットは「しかお」、鹿島神宮の「鹿」からきている。1997年3月2日に「しかこ」が登場し結婚、1999年8月1日に長男「アントン」が登場。

戦力補強の考え方

 戦力補強は原則、ユース、高卒、大卒、外国人で行っている。他のJクラブからの日本人獲得選手は、2010年までは極端に少なかった。2011年度以降は世代交代、若い選手の海外移籍の影響などから、他のJクラブからの日本人獲得が増えている。
 外国人補強はほとんどブラジル人。ブラジル国籍以外では2009年度加入のパク チュホ、2010年度加入のイ ジョンス、2015年度加入のファン ソッコ、2017年度加入のクォン スンテ、2018年度途中加入のチョン スンヒョン、2022年度加入のキム ミンテ、2023年度加入のパク ウィジョンの7人は、いずれも韓国人だった。
 2022年8月、ナイジェリア国籍のブレッシング エレケが加入。ブラジル国籍および韓国国籍以外の選手が加入したのは、エレケが初となる。2024年1月、クロアチア国籍のヨシプ チャルシッチが加入。欧州国籍の選手が加入したのは、チャルシッチが初だったが、メディカルチェックで内科検査の問題が発生し、正式契約せず。同年1月、アレクサンダル チャヴリッチ(セルビア)が加入し、欧州国籍の選手で、初めて鹿島で公式戦でプレー。
 監督、コーチのスタッフも、ほとんど日本人かブラジル人だったが、2022年度、スイス人であるレネ ヴァイラー氏が初の欧州国籍の監督として指揮(現状と今後の方向性を踏まえ、同年8月退任)したことがあり、2024年度は大分、町田、FC東京、C大阪で指揮した経験のあるランコ ポポヴィッチが監督に就任。2022年度から、ブラジル国籍の選手、スタッフに限らず、路線を拡大して、選手、スタッフの獲得に動いている。

他のJクラブに所属したことのある日本人獲得選手(復帰や期限付きは除く)

  • 名良橋晃(1997年ベルマーレ平塚から)
  • 大岩剛(2003年ジュビロ磐田から)
  • 新井場徹(2004年ガンバ大阪から)
  • 伊野波雅彦(2008年FC東京から)
  • 西大伍(2011年コンサドーレ札幌から)
  • 本田拓也(2011年清水エスパルスから)
  • 岡本英也(2012年アビスパ福岡から)
  • 前野貴徳(2013年愛媛FCから)
  • 中村充孝(2013年京都サンガF.C.から)
  • 山本脩斗(2014年ジュビロ磐田から)
  • 高崎寛之(2015年徳島ヴォルティスから)
  • 永木亮太(2016年湘南ベルマーレから)
  • 三竿健斗(2016年東京ヴェルディから)
  • 金崎夢生(2016年ポルティモネンセSC(ポルトガル)から)
  • 金森健志(2017年アビスパ福岡から)
  • 三竿雄斗(2017年湘南ベルマーレから)
  • 犬飼智也(2018年清水エスパルスから)
  • 安西幸輝(2018年東京ヴェルディから)
  • 伊藤翔(2019年横浜F・マリノスから)
  • 白崎凌兵(2019年清水エスパルスから)
  • 小泉慶(2019年途中、柏レイソルから)
  • 永戸勝也(2020年ベガルタ仙台から)
  • 広瀬陸斗(2020年横浜F・マリノスから)
  • 杉岡大暉(2020年湘南ベルマーレから)
  • 奈良竜樹(2020年川崎フロンターレから)
  • 和泉竜司(2020年名古屋グランパスから)
  • 仲間隼斗(2022年柏レイソルから)
  • 樋口雄太(2022年サガン鳥栖から)
  • 中村亮太朗(2022年ヴァンフォーレ甲府から)
  • 藤井智也(2023年サンフレッチェ広島から)
  • 知念慶(2023年川崎フロンターレから)
  • 佐野海舟(2023年FC町田ゼルビアから)
  • 須貝英大(2023年途中、ヴァンフォーレ甲府から)
  • 梶川裕嗣(2024年ジュビロ磐田から)
  • 田川享介(2024年途中、ハーツ(スコットランド)から)

完全移籍で2人以上の日本人選手を獲得したシーズンは、2011年度シーズンが初である。
世代交代や、若い選手の海外移籍などにより、2020年には5人の日本人選手獲得もあり、一シーズンで複数の日本人選手の獲得が珍しくなくなっている。

他のJクラブからの日本人獲得選手(期限付き→完全)

  • 高桑大二朗(1996年横浜マリノスから期限付き移籍、1997年完全移籍)
  • 高嵜理貴(2002年ジェフ市原から期限付き移籍、2003年完全移籍)
  • 佐藤昭大(2010年サンフレッチェ広島から期限付き移籍、2011年完全移籍)

金崎夢生は2015年2月、ポルトガル2部ポルティモネンセSCから期限付き移籍で鹿島に加入し、2016年2月に鹿島が完全移籍で獲得したが、期限付き移籍期間満了後に一旦退団したため、上記の期限付き→完全と定義しないものとする。

基本的な戦い方

 システムはずっと4バックである。ほとんど4-4-2。監督によって戦術を変えたりするチームが多い中で、鹿島はほとんど4バックで戦っている。近年、監督の戦術次第ではあるが、4-2-3-1で戦うこともあるが、鹿島は監督が替わっても、4バックを採用する。

 鹿島は2019年度までは堅守速攻のサッカーを主に繰り広げていたが、2020年度のザーゴ監督就任時(翌年4月解任)から、自分たちが主導権を握ってアクションを起こす攻撃的なサッカーへ転換。しかし、監督の交替が相次ぎ、2024年度においても試行錯誤中である。

 同じポジションに外国人選手で固めない。例えばFW、外国人2トップにはせず、外国人と日本人で組む、これで日本人を育てていくことを目的としている。

 ポジション争いも厳しいチームになっている。不調等で出場機会を失い、別の選手が活躍すると、なかなかポジションを奪い返せない。これで競争に負けた選手は、出場機会を求めて他チームへ移籍したり希望したりする。当然「出場してナンボ」の世界、鹿島はこういった争い、戦術の継続で軸がぶれず、常に上位にいられるチームになっている。

 Jリーグ初年度開幕前までの下馬評は「ビリ間違いなし」。1993年、Jリーグが始まってみれば下馬評を完全に覆しての1stステージ優勝。今は確かに「強いチーム」という言い方になるかもしれないが、「強くなっていったチーム」という言い方かも。

 ここ一番での勝負強さ、シーズン終盤にかけての強さが光るチームである。

Jリーグ発足前の時代(鹿島アントラーズの誕生)

 鹿島アントラーズの母体(前身)クラブは、住友金属サッカー部。その住友金属サッカー部、Jリーグ発足前の日本リーグ時代は1部に所属していたのが2度だけの弱小チームだった。
 1989年、プロサッカーリーグ(Jリーグ)の話が具体化。その後、プロリーグ参加を表明した20チームから10チームに絞りこむ作業が進められていた。参加を表明したチームの多くは日本リーグ1部のチーム、2部チームの住友金属サッカー部は圧倒的に不利な状況であった。
 田舎の町で、チームそのものも2部チームということで強くない、そういうチームが大丈夫か?と。当時の川淵三郎氏も当然、住友金属のプロリーグ参加は消極的。「99.9999%可能性はありません」と関係者に伝えられる。しかし「0.0001%可能性はあるんですね?」と、住金の関係者(後のJリーグ2代目チェアマン鈴木昌)が。「その0.0001%とは?」と聞かれて川淵氏は「観客席に屋根の付いた15000人収容のサッカー専用スタジアムを作る、というなら話は別です」と。
 その後、チーム強化が進められ、ブラジルのスーパースター、ジーコの入団。15,000人収容のサッカー専用スタジアムの建設が進められた。このスタジアムを作ったということで、プロリーグ入会が認められたのです。なお参加10チームの最後、10番目に参加が決まったチームである。
 チーム名も「鹿島アントラーズ」に決定。Jリーグ入りを断念した本田技研サッカー部の選手たちを中心に補強を進める。初代監督には本田技研サッカー部の宮本征勝が就任し、Jリーグ開幕に備える。

1993年度-1995年度(快進撃)

 Jリーグ開幕戦、いきなりの快進撃が訪れる。1993年5月16日カシマサッカースタジアムでの鹿島アントラーズ対名古屋グランパスエイト戦は「ジーコ対リネカー」とも見方もできる対戦で、ジーコがハットトリックの活躍で5対0で圧勝。その後も快進撃を続け、サントリーシリーズ(1stステージ)優勝を決めた。ビリ間違いなしという下馬評を完全に覆し、鹿島の町にサッカーあり、というのを世間に大きくアピールした。
 ニコスシリーズ(2ndステージ)ではヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)が優勝。1st、2nd各ステージ優勝同士で争われるJリーグチャンピオンシップでは1分1敗に終わり、初代王者にはなれなかった。第2戦ではジーコが三浦知良のPKの際、ボールにツバを吐き2度目の警告で退場になり、大きな話題にもなった。

 1994年のサントリーシリーズを以って、ジーコが引退。その後もジーコは鹿島に関わり、後任監督に実兄エドゥー、またレオナルドとジョルジーニョの加入によって、鹿島を強豪チームとして築き上げていった。
 中でも1995年11月1日のカシマスタジアムでの鹿島アントラーズ対横浜フリューゲルス戦、レオナルドのリフティングからのゴールシーンはまさに神業ともいえるシーンであり、スーパーゴールの1つといってもいい。

1996年度-2002年度(鹿島と磐田の時代)

 1ステージ制で争うことになった1996年度、鹿島は初の年間王者に輝く。1997年度からは再び2ステージ制に戻る。ヴェルディ川崎からビスマルク、ベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)から名良橋を補強してさらに充実させ、1stステージ優勝。しかし、チャンピオンシップでジュビロ磐田に敗れ、2連覇はならなかった。しかしこの年はナビスコカップと天皇杯を獲り2冠。

 1998年度、「第2期黄金時代」の象徴ともいえる選手が入団した。小笠原満男、中田浩二、本山雅志、曽ケ端準ら6人が加入する。チームは2ndステージに優勝を果たす。チャンピオンシップでは再びジュビロ磐田と対戦して、昨年度の雪辱を果たし年間王者に輝く。

 1999年度から、カシマサッカースタジアムは2002年のW杯に合わせ、改修工事が始まった。この間は国立競技場でホームゲームを行われることが多くなる。1999年度はタイトルなしに終わった鹿島(年間王者はジュビロ磐田)だが、トニーニョ・セレーゾが鹿島の監督に就任(以降6シーズンに渡り指揮)した2000年度、Jリーグ、ヤマザキナビスコカップ、天皇杯、国内3大タイトルを総なめに。これはJリーグ発足後、鹿島が初めて成し遂げた

 2001年5月、新カシマサッカースタジアムが完成。2層式、41,800人収容のスタジアムに生まれ変わった。こけら落としの試合では勝利したものの、1stステージでは史上最低順位の11位に沈む。しかし2ndステージでは優勝。ジュビロ磐田とのチャンピオンシップの第1戦は引き分け、第2戦は0対0での延長前半、小笠原のフリーキックが決まりチーム初の連覇を決める。

 チャンピオンシップの敗戦を糧にし、2002年度の磐田は強かった。史上初の1st、2nd両ステージ優勝を決め、年間王者となる(両ステージ優勝の場合は、チャンピオンシップは行われない)。対する鹿島は浦和レッズを破り、ナビスコカップ優勝。1996年度から2002年度の7年間は、鹿島が4回、磐田が3回年間王者になっている。まさに鹿島と磐田の時代であった。
 この間、安定感抜群で優勝をモノにしてきた磐田に対して、鹿島はここ一番での勝負強さが光るチームである。

2003年度-2006年度(タイトルなしの苦しい時期)

 2003年度の1stステージは8位(優勝は横浜)。柳沢敦のセリエAサンプドリアへの移籍。昨年度と同じ対戦カードとなったヤマザキナビスコカップ、浦和レッズに0対4で大敗。2ndステージの最終節、優勝の可能性があった。横浜対磐田の一戦で、首位磐田が3位横浜に敗れ、鹿島が浦和に勝つと優勝の可能性があった。横浜対磐田の後半ロスタイムに横浜が磐田を逆転する、この時鹿島は2対1でリードしていた。横浜逆転の情報がベンチに伝わり、ベンチ内トニーニョ・セレーゾ監督が大きく喜んでしまう。それがピッチ上の選手にも伝わってしまい、集中できなかったのか、あと2分守れば優勝だったのに、同点ゴールを決められ優勝ならず、3位横浜に優勝が転がり込む。
 2003年度は横浜が1st、2nd両ステージ優勝を決め、年間王者となる。7年間続いた鹿島と磐田の時代に終わりを告げる瞬間であった。

 2004年度は特に決定力不足に苦しむ。1stステージでのFW登録の選手で取ったのは深井正樹の1点のみ。1stステージは5位、2ndステージも4位。ナビスコカップも天皇杯も獲れず、タイトルなしに終わる。そして、中田浩二がフランスのマルセイユに移籍、主力の1人を失うことに。

 2005年度からは1ステージ制となる。シーズン前半は首位を走っていた鹿島だが、小笠原にセリエAレッチェからのオファーが届く。優勝争いの大事な時期のため、チームやサポーターからも残留を希望。とりあえずは鹿島に残留する。その後は、徐々に追いつかれていき結局は3位に終わる。

 2006年度はパウロ・アウトゥオリ監督が就任。そして、柳沢の復帰に高卒ルーキー内田篤人を開幕スタメンに抜擢し活躍。しかし8月、小笠原がセリエAメッシーナへ移籍。ヤマザキナビスコカップでは決勝に進出したものの、ジェフ千葉に敗れる。堅守も持ち味の鹿島だが、シーズンを通して2失点以上する不安定な試合が多く、結局リーグ戦は6位に終わる。

2007年度-2008年度(強豪鹿島復活)

 2007年度はオズワルド・オリヴェイラ監督が就任。プレシーズンマッチで小笠原の「後継者」として指名された野沢拓也が負傷。開幕5戦まで勝ち星がなく、苦しい時期があった。しかし野沢が復帰した開幕6戦目で勝利するとチームは立ち直り始める。
 そして、セリエAに移籍していた小笠原の鹿島復帰が発表され、さらにチームが活性化される。ヤマザキナビスコカップでは準決勝で敗退したものの、9月22日以降のリーグ戦では勝ち続ける。残り5試合で首位浦和とは勝ち点10差。しかし鹿島は勝ち続ける。浦和はACLでの代償か、全く勝てない試合が続き、11月24日に直接対決を向かえる。鹿島が勝利し2位に浮上する。
 最終節、鹿島が清水に勝ち、浦和が引き分け以下で鹿島が優勝が決まる一戦で、鹿島は3対0で勝利しシーズン終盤から9連勝とする。対する浦和は横浜FCに0対1で敗れ、鹿島が奇跡の大逆転優勝が決定。ついに通算獲得タイトル数が10個で「10冠」達成。最終節前まで一度も首位に立つことがなかったチームが逆転で優勝したのは史上初。その勢いそのままに、天皇杯でも優勝で通算「11冠」となる。

 2008年度、昨年度の勢いそのままに開幕5連勝。しかし4月と5月は、ACLとリーグ戦の過密日程からか勝てなくなってしまう。その後、W杯アジア3次予選のためリーグ戦は一時中断する。チームは11日間のオフもあり、リーグ戦再開後、チームは立ち直り始める。
 そんな中、9月20日の柏レイソル戦、小笠原が全治6ヶ月の重傷、ACLは準々決勝敗退と苦しい時期が。その苦しい時期を乗り越え、リーグ終盤の3試合、大分に1対0、続く磐田に後半ロスタイム4分台に入ったところで岩政の劇的ゴールで1対0で勝利し、ここ一番の勝負強さを発揮する。
 そして最終節、アウェイでのコンサドーレ札幌戦、野沢のゴールで1対0の勝利で6回目のリーグ優勝。通算「12冠」となる。2連覇を2度果たしたチームは鹿島が初である。来季は、どのチームも達成していないリーグ3連覇に挑戦する。

2009年度(Jリーグ史上初3連覇達成)

 2009年度の新戦力のひとり、韓国人MFパク・チュホが加入。鹿島初のブラジル人以外の外国籍選手である
 サッカーシーズンの幕開けを告げるFUJI XEROX SUPER CUPでガンバ大阪を下す。リーグ開幕戦も浦和レッズに勝ち順調なスタートを切る。4月29日のヴィッセル神戸戦で、岩政のゴールがJ最速のチーム通算1000ゴール。ACLは2年連続で予選突破(1位通過)、リーグ戦は3月に1敗したものの、4月と5月は去年と打って変わって負けなしでW杯アジア最終予選のための中断期間を迎えた。
 W杯最終予選も終わり、リーグ戦再開初戦も白星スタートを切ったが、ACL決勝トーナメントラウンド16で鹿島はPK戦の末、FCソウル(韓国)に敗れ、アジア制覇の夢は途絶えた。リーグ戦は、8月1日のサンフレッチェ広島戦に敗れるまで、リーグ戦連続無敗は17試合続いた(J新記録)。
 その後しばらく波に乗り切れない試合が続き、そんな中、9月12日の川崎フロンターレ戦(カシマ)、鹿島1対3で2点ビハインドの後半29分に大雨によるピッチコンディション不良のため試合中止となる。この試合の取り扱いについてJリーグは「後半29分より試合再開」の決定を下す。過去にキックオフ後に中止が決定した試合はすべて再試合であったが、今回の決定はJリーグ初の事例となる。10月7日に再開試合が行われ2対3で敗れる。
 リーグ戦5連敗で首位からも陥落した鹿島、10月24日の千葉戦で約2ヶ月ぶりの勝利を挙げると、その後は復調の兆しを見せ、第31節の山形戦では、J1初の相手に一本もシュートを打たせず勝利する。第32節の京都サンガF.C.戦で勝利し首位に返り咲くと、第33節のガンバ大阪戦では5対1の圧勝。そして最終節、勝てば文句なしの優勝がかかる浦和戦、1対0で勝利し、Jリーグ史上初の3連覇を達成する。

2011年度(苦しいシーズン、ナビスコVもリーグ戦は優勝争いに関わることなく6位)

 シーズン前のオフ、過去に例のない大補強を敢行。実に退団・移籍・引退合わせて11人、新加入・移籍・復帰も合わせて11人。特にMF陣の層が厚くなり、2011年度に臨む。
 サッカーシーズンの幕開けを告げるFUJI XEROX SUPER CUP、4年連続出場となる鹿島は、名古屋グランパスと対戦。昨年同様PK戦だったが、3-1で敗れる。
 3月11日、国内史上最大規模M9.0の東北地方太平洋沖地震が発生。これにより、J1、J2の第2節ならびにJFLの試合が全て中止(延期)となった。全試合が中止になるのはJリーグ史上初となる。3月14日は3月中に行われるJ1、J2およびナビスコカップの開催中止を発表。そして3月22日、Jリーグは「4月23日から再開」を発表する。
 ACLは予選リーグ2位(3勝3分)で、4年連続で予選突破を決めた。しかし、決勝トーナメントラウンド16で、FCソウル(韓国)に0対3の完敗。またしてもアジア制覇ならず。
 東日本大震災の影響で、カシマサッカースタジアムが使用できない状態であったが、6月4日、震災復興チャリティーイベント「SMILE AGAIN ~YELL FROM KASHIMA~」がカシマサッカースタジアムで開催。
 7月5日、鹿島は伊野波雅彦のハイデュク・スプリト(クロアチア1部リーグ)への完全移籍にクラブ間で基本合意したと発表。
 ACL出場のため、ヤマザキナビスコカップは準々決勝からの登場の鹿島、準々決勝で横浜FMに延長の末勝利、準決勝も延長の末名古屋に勝利、そして決勝も延長に、大迫のゴールで勝利しナビスコカップ4度目の優勝。通算「15冠」となる。
 リーグ戦は、一時降格圏内の16位に落ちるものの、次第に順位を盛り返し5位まで順位を上げた。しかしその後も優勝争いに関わることがなく、6位で終了。リーグ戦終了後の12月5日、5シーズン指揮したオリヴェイラ監督が今シーズン限りでの退任を発表する。退任発表後の天皇杯4回戦で鹿島はJ2京都に敗れ、2011年度の戦いを終える。

2012年度(ナビスコ連覇、しかしリーグ戦はクラブ史上初の二桁順位)

 2011年度限りで、5シーズン指揮を執ったオリヴェイラ監督が退任し、2012年度からジョルジーニョ監督が就任。鹿島初のOB監督の誕生である。
 開幕戦でベガルタ仙台に敗れ、そこからリーグ開幕3連敗を喫し、1シーズン制となった2005年以降で初の単独最下位にも沈む。ナビスコカップ予選では2連勝するものの、リーグ戦開幕5試合で1分4敗。しかし開幕6戦目のFC東京戦で、ようやくリーグ戦初勝利を挙げる。その後3連勝も、5月に入り3試合連続無得点。そんな中、5月19日の札幌戦で7対0の大勝。J初のひとり1点ずつで7点という記録を作る。2007年以来の予選から参加となったナビスコカップでは、予選リーグ5勝1敗の2位で予選突破を決める。
 昨年度のナビスコカップ王者が出場できるスルガ銀行チャンピオンシップ、8月1日カシマサッカースタジアムで行われ、鹿島はチリのウニベルシダ・デ・チリをPK戦の末制し、初優勝する。
 ナビスコカップ決勝トーナメントでは、準々決勝のC大阪には2勝、準決勝の柏には1勝1分で決勝進出。11月3日に行われた決勝で、昨年に続いて延長戦の末、柴崎の勝ち越しゴールで2対1で清水に勝ち、2年連続5回目の優勝を果たす。通算「16冠」となる。
 リーグ戦では、浮上の兆しもなく、本格的な残留争いに巻き込まれてしまう。第33節の名古屋戦(豊田ス)で勝利し、J1残留を決める。そして、最終節を前に、ジョルジーニョ監督の退任が発表される。最終節で鹿島は2対0で柏を下し、ジョルジーニョ監督のリーグ戦最後の指揮となる試合を白星で飾る。しかし、最終順位は11位。これまで年間順位が一度も2桁順位がなかった鹿島(1999年の9位が最低順位)、初の2桁順位となった。シーズン一度も1桁順位に浮上することもなくリーグ戦を終える。
 ジョルジーニョ監督を天皇杯優勝で花を添えようと、準決勝まで進出したが、12月29日の準決勝G大阪戦で敗戦し、決勝進出ならず。これで2012シーズンの全日程を終える。

2013年度(2006年度以来のタイトルなしも若手台頭)

 2013シーズンから監督にトニーニョ・セレーゾ氏が就任。8年ぶりの指揮となる。
 リーグ戦は、昨年と違い、開幕2戦目の仙台戦で今シーズンの初勝利を挙げ、3月30日の大宮アルディージャ戦で敗れたものの、4月は負けなしで順位も好位置につける。そして、筑波大学FW赤﨑秀平と鹿島ユース所属のGK小泉勇人の2014年シーズン加入内定を発表。赤﨑は特別指定選手として承認。鹿島が特別指定選手として登録することはクラブ初である。5月11日は「Jリーグ20thアニバーサリーマッチ」と題して、観客動員最多を誇る浦和と、リーグ戦最多7度の優勝を誇る鹿島が対戦、鹿島は1-3で敗れた。この試合で、浦和2点目の興梠慎三のゴールに対して、オフサイドではないかと大きな波紋を呼んだ。
 ナビスコカップは、初戦のFC東京戦には敗れたものの、その後は順調に勝ち星を重ね、5月15日第6節、大分を1-0で下し、最終節を待たずに予選突破を決める。J1中断期間中に開催された準々決勝は、第1戦、第2戦とも横浜F・マリノスに敗れ、史上2クラブ目のナビスコカップ3連覇の夢は潰えた。
 2年連続で出場となったスルガ銀行チャンピオンシップが8月7日に開催。サンパウロFCは、2006年に鹿島を率いたパウロ・アウトゥオリ監督。試合は、鹿島が試合終了間際に大迫のゴールで3-2でサンパウロを下し、2連覇達成。大迫は初のハットトリックを達成。
 リーグ戦では、ダヴィの離脱後の8月から、土居聖真の台頭で昨年終盤に戦った布陣4-2-3-1を中心とした戦いになる。天皇杯は2回戦ソニー仙台、3回戦京都サンガF.C.に勝利。しかし4回戦で、サンフレッチェ広島に1対3で敗れた。リーグ優勝にすべてを懸けた鹿島、第32節で鳥栖に敗れ、痛恨の黒星を喫し勝ち点6差となる。しかし第33節で、共に優勝を争うC大阪と直接対決。鹿島は2対1で勝利し、得失点差で大きく下回る中、優勝争いに踏みとどまる。そして最終節、僅かながら優勝の可能性を残していた鹿島だが、広島に0対2で敗れる。そして首位横浜FMが敗れ、カシマスタジアムで広島の逆転優勝を許す。鹿島は5位に転落し、2006年以来の無冠に終わる。

2014年度(タイトルなしも世代交代が加速、若手躍動)

 年が明け、1月6日に大迫勇也がドイツ2部リーグのTSV 1860 ミュンヘンへの移籍、岩政大樹がBECテロ・サーサナFCへの移籍を発表。2月15日に行われる予定だった「いばらきサッカーフェスティバル2014」は悪天候により中止となった。水戸とのプレシーズンマッチを毎年行っていたが、中止になったのは初である。翌日に練習試合という形で試合を行った。
 そして2月21日、山梨中銀スタジアムで行われる予定だった甲府との開幕戦が、甲府市内が記録的積雪の影響により、山梨中銀スタジアムでの開催ができなくなり、代替地として国立競技場で開催されることとなった。その開幕戦、大迫勇也が抜けた影響で心配されていた鹿島、その不安を払拭する4対0で大勝する。第2節の仙台戦も勝利、2010年シーズン以来の首位に立ち、第6節まで首位が続いた。
 4月15日、1993年から鹿島のスタジアムDJを20年余り務めた、ダニー石尾氏が亡くなったことを4月17日に発表した。66歳だった。追悼試合となった第8節神戸戦は、2対3で敗れ、勝利することはできなかった。
 ナビスコカップは、初戦のFC東京に敗れ黒星スタート。第6節まで2勝3敗でありながら、最終節で予選突破の望みを繋いでいた。最終節の清水戦、3対0で勝利したものの、9年ぶりの予選敗退となった。
 J1はブラジルW杯のため、第14節の徳島戦を最後に約2ヶ月の中断。今年度は、2015年にアジアカップ開催に伴い、例年より早い時期に天皇杯が開催。鹿島は2回戦で、2年連続でソニー仙台FCと対戦。前半2点のビハインドから、すぐに同点に追いついたものの、その後点は奪えずPK戦に。鹿島は1人目の小笠原以外、4人連続で失敗し敗退。初戦敗退は1994年以来20年ぶり。
 約2ヶ月中断していたリーグ戦が再開。7月の鹿島は3試合とも引き分け。約1年間引き分けがなかったが、勝ち切ることができなかった。9月に1敗したものの、8月と9月は調子を取り戻した。しかし10月のG大阪戦、柏戦とホームで2試合連続の逆転負けを喫する。10月最後の試合の浦和戦では引き分け、勝ち点7差を詰めることはできなかった。
 11月に入り、新潟に逆転勝利。そして川崎、C大阪に勝利し勝ち点60で、優勝への可能性を繋いだ。しかし最終節の鳥栖戦、鹿島は0対1で敗戦。2年連続の無冠が確定した。
 無冠は確定したものの、92年組の柴崎岳は昨年度に続き、全試合出場。同じ92年組の昌子源と土居聖真も、初めて全試合に出場し、才能が開花。そして新人カイオが30試合出場で8得点をマークし、ベストヤングプレーヤー賞を獲得。植田直通および豊川雄太の2年目の選手も頭角を現した。

2015年度(監督解任という激震から立て直し、ナビスコ制覇で復活へのきっかけへ)

 今年から新設された「ニューイヤーカップ」の宮崎ラウンドで、鹿島は大分に5対2で、福岡に2対0で快勝し、初代王者に輝いた。昨年、悪天候によって中止となった「いばらきサッカーフェスティバル」が2年ぶりに開催され、鹿島は3対1で快勝。2011年以来4年ぶりの出場となったACLは、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ、FCソウルに敗れ2連敗となり、Jリーグ開幕に不安の残す結果となった。
 2004年以来の2ステージ制となったJリーグ、1stステージは2連敗スタート。そして第2節後のACL第3節でも敗戦、公式戦5連敗スタートとなった。4月に入って、調子を少し取戻し、第4節の鳥栖戦で今季リーグ戦初勝利。ACLにおいても、第4節と第5節で連勝し、グループステージ突破に望みを繋いだ。しかし、5月5日に行われたACLグループステージ最終節で敗れ、グループステージ突破はならなかった。
 5月1日にジネイが加入。今冬に加入が決まっていたが、メディカルチェックで右膝半月板の損傷が見つかり、契約できなかった。そのジネイは4月から鹿島の練習に参加し、その後契約が決まった。
 鹿島は5月に入ってからもリーグ戦は連勝がなく、波に乗れない。6月20日の第16節の横浜FM戦で、ジネイが負傷。その後の検査で、右膝前十字靭帯と右膝半月板の損傷で全治約8ヶ月の重傷。今季中の復帰は絶望的となった。最終節の川崎戦は敗戦し、1stステージは8位で終了。
 2ndステージに入り、第3節松本戦での敗戦から2日後、トニーニョ・セレーゾ監督を成績不振を理由に解任。代わって、石井正忠コーチの新監督就任を発表。シーズン途中に解任されたのは、1999年のゼ・マリオ氏以来2人目。鹿島の日本人監督は、初代監督だった宮本征勝(故人)以来2人目。石井監督の初戦となった第4節、FC東京に2対1で勝利し、初陣を飾った。その後も連勝を続け、リーグ戦の連勝は6まで続いた。
 ナビスコカップはACL出場のため、準々決勝から出場。FC東京を1勝1分で準決勝に進出。10月の準決勝では神戸に2勝し、決勝に進出した。そして10月31日、決勝でG大阪を3対0で下し、3年ぶり6回目の優勝。通算のタイトル獲得数が17に。
 ナビスコカップ優勝後の残り2試合のリーグ戦、横浜FMに2対0で勝利し、僅かながら2ndステージ優勝の可能性を残したが、最終節の名古屋戦で1対0で勝利したものの、広島が勝利したため、2ndステージは2位。年間順位は5位でリーグ戦を終了する。

2016年度(リーグ奪還そして天皇杯を制し2冠、クラブW杯でも大きな収穫)

 ニューイヤーカップの宮崎ラウンド、1月31日に福岡、2月2日に熊本にそれぞれ2対0で勝利したが、2月4日の千葉戦で0対1で敗れ、昨年に続く優勝はならなかった。
 今年1月に期限付き移籍期間満了にて、ポルトガル2部ポルティモネンセSCへ復帰していた金崎夢生が、鹿島へ完全移籍での獲得へ向けて、選手およびクラブ間で基本合意に達したことを、2月12日、公式facebookで発表。そして、2月20日に完全移籍で獲得したことを正式発表。
 1stステージが開幕し、第1節のG大阪戦で鈴木優磨のゴールで1対0で勝利する。4月6日、流通経済大学2年の小池裕太のJFA・Jリーグ特別指定選手として日本サッカー協会から承認されたと発表した。鹿島が特別指定選手として登録されるのは、2013年の赤﨑秀平以来2人目。
 連覇を狙ったナビスコカップ、グループステージで甲府、神戸に敗れ2連敗スタート。第3節の名古屋戦には勝利するが、第5節の湘南戦で2対3で逆転負けを喫し、2試合を残してグループステージ敗退となった。
 リーグ戦では、第12節の横浜FMから白星を重ね、第15節の浦和戦では2対0で勝利した。リーグ戦で浦和に勝利するのは2010年第1節以来。そして第16節では神戸に2対1で逆転勝ちし、川崎を抜いて首位に浮上。そして1stステージ最終節で福岡に勝利し優勝。
 2ndステージに入り、第1節のG大阪戦で敗れ黒星スタート。7月5日、MFカイオがUAE1部リーグのアル・アインFCへ移籍すると発表。その後は、1stステージとは打って変わり、複数失点を喫する試合が増え、調子が上がらない。そして、第5節の浦和戦から3連敗。スルガ銀行チャンピオンシップでも、インデペンディエンテ・サンタフェに0対1で敗れ、タイトルならず。石井監督になって初めて公式戦4連敗を喫する。
 福岡戦、湘南戦は連勝したものの、湘南戦で金崎が途中交代の不満から、ベンチ前で石井監督と口論になり、大きな波紋を呼んだ。その後金崎が謝罪し、早期に解決。しかし、横浜FM戦前日練習に石井監督が心労のため姿を現さず、横浜FM戦は大岩コーチが指揮を執った。石井監督の去就が注目されたが、8月31日、鹿島は公式Facebookで石井監督がチームの指揮をとったことを報告し、続投が決定。
 9月以降、けが人が増え始め、下位には勝利するものの、上位や調子の良いチームには勝利できず、調子がいまいち上がらない。10月以降残り4試合は全て敗戦。4連敗で11位で2ndステージを終えた。
 年間勝ち点3位の鹿島は、チャンピオンシップ準決勝で年間勝ち点2位の川崎に1対0で勝利し決勝進出。11月29日のチャンピオンシップ決勝第1戦では、年間勝ち点1位の浦和レッズに0対1で敗れた。12月3日の決勝第2戦、鹿島は2点以上得点して勝利することが条件という厳しい条件のもと、金崎の2ゴールで2対1で下し、年間勝ち点3位からの優勝を決め18冠となった。
 J1リーグ戦後、FIFAクラブワールドカップジャパン2016が開幕。開催国枠として出場する鹿島、クラブW杯の出場は初となる。初戦のオークランド・シティ(オセアニア代表)戦では先制を許すものの、2対1で逆転勝利。第2ラウンドのマメロディ・サンダウンズ(アフリカ代表)戦、前半はアフリカ勢のフィジカル、スピードに苦しむも、後半2点を取り2対0で勝利し準決勝進出。
 準決勝のアトレティコ・ナシオナル(南米代表)ではピンチの連続も、昌子、曽ヶ端らが体を張って失点を防ぐ。そして土居の先制ゴールで前半を折り返し、後半には遠藤、鈴木が得点し3対0で勝利。クラブW杯でアジア勢が決勝進出したのは初となる。そして決勝のレアル・マドリード戦では、前半先制されるも柴崎が同点に追いつき、後半再び柴崎のゴールで一時は逆転する。PKで同点に追いつかれ延長に突入。延長でクリスティアーノ・ロナウドの2ゴールで4対2で敗れ、鹿島は準優勝となった。
 クラブワールドカップが終了後の天皇杯準々決勝、鹿島は1対0で広島に勝利。準決勝も横浜FMに2対0で勝利し、6大会ぶりに決勝進出。そして決勝、山本の先制後、一度は追いつかれるものの、延長前半にファブリシオの勝ち越しゴールが決まり、2対1で勝ち優勝を決めた。通算19冠となった。

2017年度(大補強敢行も無冠という「まさか」のシーズンに終わる)

 1月17日に新シーズンが始動。全タイトル制覇を目標に掲げ、これまで以上に即戦力を補強した。神戸からペドロ ジュニオール、新潟からレオ シルバ、福岡から金森健志、湘南から三竿雄斗、全北現代からクォン スンテ、ブラジル代表経験のあるレアンドロを獲得したが、2月1日、鹿島は柴崎岳がスペイン2部リーグのCDテネリフェに完全移籍すると発表した。
 シーズン始動から実に6試合のプレシーズンマッチを消化。2011年以来6年ぶりの出場となるサッカーシーズンの幕開けを告げるFUJI XEROX SUPER CUP、昨年J1リーグ2位の浦和を3対2で下し、2010年以来7年ぶり6度目の優勝を決めた。
 ACLが開幕し、グループステージ初戦の蔚山現代に2対0で勝利。リーグ戦も開幕し、開幕節のFC東京戦では0対1で敗戦するが、その後4連勝。ACLグループステージは第5節の蔚山現代戦で勝利し、1試合残して予選突破を決めた。最終節も勝ち、1位通過を決めた。
 しかし、4月以降のリーグ戦では不安定な戦いが続き、ホームで勝利することができず、5月まででホーム2勝5敗。そしてACL決勝トーナメントラウンド16の広州恒大戦では、第1戦は0対1で敗戦。そして第2戦では2対1で勝利するものの、アウェイゴールで下回り、敗退が決定した。
 ACL敗退の翌日5月31日、石井監督の解任と、大岩コーチの新監督就任を発表する。シーズン途中の監督解任は、1999年のゼ・マリオ氏、2015年のトニーニョ・セレーゾ氏に次ぎ3例目となる。
 大岩監督就任後、これまで出場機会の少なかった選手たちなどが活躍し、一気に順位を上げ、ACLの関係で未消化だった第13節でG大阪に勝ち、首位で折り返す。
 ルヴァン杯は、ACL出場のため準々決勝から登場となったが、第1戦の仙台戦で1対3で敗れる。そして、第2戦は3対2で勝利したものの、アウェイゴールの差で敗退。
 リーグ戦同様連覇を目指していた天皇杯、初戦のFCマルヤス岡崎、3回戦の山形戦ではともに5対0の大勝。ラウンド16の浦和レッズ戦では4対2で勝利。しかし、準々決勝の神戸戦、昌子のゴールで先制したものの、後半終了直前のラストプレーで同点に追いつかれ、PK戦の末敗退。
 リーグ戦では鳥栖戦からやや不安定な戦いだったが、第31節の札幌戦で2対1で勝利。そして第32節の浦和戦で1対0で勝利し、リーグ連覇へ王手をかけた。しかし、第33節の柏戦はスコアレスドローで優勝持ち越し。最終節もスコアレスドローに終わり、同時刻スタートの川崎が勝利し、リーグ連覇はならなかった。

2018年度(悲願のACL制覇)

 1月10日に新体制発表記者会見を行い、新シーズンが始動。2018年度は、ウニオン・ベルリン(ドイツ)から内田篤人が復帰、清水から犬飼智也、東京Vから安西幸輝が完全移籍で加入した。
 2月3日、毎年恒例のプレシーズンマッチ「いばらきサッカーフェスティバル」、鹿島は水戸を4対3で逆転勝ち。2月14日からACLが開幕した。初戦の上海申花戦は1対1で引き分けたが、2月21日の水原三星ブルーウイングス戦で2対1、今季公式戦初勝利を挙げる。
 ACL2試合を消化後、J1リーグも開幕。鹿島は清水に0対0の引き分けスタートとなった。
 3月1日、2019年度の新加入選手として、順天堂大学のMF名古新太郎(3年)の加入が内定したと発表。仮契約は2017年11月に行われたと報じられており、柴崎岳(ヘタフェ)が仮契約を結んだ前年1月を上回る異例のスピード契約となっている。
 J1リーグ第5節の札幌戦から、ACLグループステージとの怒涛の連戦が始まり、鹿島は4月のリーグ戦はわずか1勝しか挙げられず、苦しい状況になるが、ACLに関しては決勝トーナメント進出を決める。
 5月に入り、ホーム長崎戦と浦和戦に勝利。そしてACLラウンド16で、上海上港と1勝1敗だったが、合計スコアで上回り、6度目の決勝トーナメントで初めて「初戦」を突破し、ベスト8進出を決める。復調気配が感じられたが、第15節の仙台戦で敗戦を喫す。
 ロシアワールドカップ期間中に、天皇杯2回戦と3回戦が行われ、鹿島は2回戦と3回戦を突破。ワールドカップによって中断していたJ1リーグが再開し、鹿島は次第に順位を上げていく。9月にはリーグ戦の他、ACL、ルヴァンカップ準々決勝、天皇杯を戦い、9月までは全てのタイトルを獲る可能性を残した。
 10月に入り、10月3日のACL準決勝第1戦、水原三星を3対2で逆転勝利したが、ルヴァンカップ準決勝では、横浜FMに2戦合計1敗1分で敗退。敗退後のリーグ戦第30節の浦和戦で敗れ、リーグ戦優勝の可能性がなくなり、続けて2タイトルを失う。しかし、10月24日のACL準決勝第2戦は3対3で引き分け。2戦合計1勝1分で、クラブ史上初の決勝進出を果たした。
 そして、11月3日に行われたACL決勝第1戦、ペルセポリスを2対0で下し、11月10日の第2戦では0対0のスコアレスドロー。2戦合計1勝1分で、鹿島は悲願のACL初優勝。20冠目となった。
 リーグ戦は3位で終了。天皇杯準決勝は浦和に敗れ敗退。FIFAクラブワールドカップジャパン2018が開幕し、鹿島は北中米カリブ海地域代表のグアダラハラ(メキシコ)に逆転勝利を収め、準決勝進出を決めたが、準決勝のレアル・マドリード戦では1対3で敗戦。さらに3位決定戦でも、リーベルプレート戦に敗れた。
 シーズン終了後、小笠原満男の現役引退、そして昌子源がフランス1部トゥールーズへの移籍が発表された。

2019年度(次第に失速、無冠に終わる)

 1月15日より新シーズンが始動し、1月17日に新体制発表記者会見を行った。2019年度は、横浜FMから伊藤翔、そして清水から白崎凌兵が完全移籍で加入した。
 2月9日、毎年この時期に行われる水戸とのプレシーズンマッチ「いばらきサッカーフェスティバル」では、中村のゴールで1対0で勝利した。
 2月12日、鹿島は法政大学の上田綺世の2021年度から加入すると発表した。大学2年時に加入を発表するのはクラブ史上最速。そして、上田綺世は「2019年JFA・Jリーグ特別指定選手」として承認された。
 ACLはプレーオフから戦うことになった鹿島、2月19日にプレーオフが行われ、ニューカッスル・ジェッツ(オーストラリア)に4対1で勝利し、本戦出場を決めた。
 リーグ戦が開幕し、第1節で大分に敗れ黒星スタートとなった。ACLも開幕し、グループステージ第1節でジョホール・ダルル・タクジムに2対1で勝利し、第3節まで負けなしが続いた。第4節と第5節で連敗したが、最終節で勝利し、2年連続で決勝トーナメント進出を決めた。
 2021年度に加入予定だった、法政大学の上田綺世が、同大学サッカー部を退部し、鹿島に加入することが発表された。リーグ戦では連敗はないものの、負傷者が続出している影響もあり、第17節終了時点で8勝4敗4分(1試合未消化)で、いい流れに乗り切れない戦いが続く。しかし、第18節以降は大きな連勝はないものの、負けは少なく、徐々に順位を上げていく。
 ACL連覇を狙った9月、準々決勝の広州恒大との2試合、第1戦および第2戦ともに引き分け。しかし、アウェイゴールの差で、ACL連覇はならなかった。
 10月のJ1第28節のC大阪戦で勝利し、今季初の首位に立った。しかし、主力選手のケガ人が続出し始め、ルヴァンカップ準決勝では、川崎フロンターレに1分1敗で敗退。その後のリーグ戦の松本戦も、ケガ人が続出が影響し、引き分けに終わった。
 11月に入って、第30節の浦和戦に勝利したが、第31節の川崎戦で敗戦し、首位陥落。残り3試合は1勝1敗1分で、リーグ戦は結局3位で終了した。
 12月11日、大岩剛監督の退任が発表。最後のタイトルとなった天皇杯では、準決勝の長崎戦に勝利し決勝進出。しかし、決勝では神戸に0対2で敗れ、準優勝に終わり、無冠が確定した。

2020年度(コロナ禍、シーズン序盤の苦しみも徐々に戦術浸透)

 天皇杯決勝から6日という僅かなオフの後、新シーズンが始動。2020年度は、アントニオ・カルロス・ザーゴ氏が新監督に就任。そして川崎から奈良竜樹、名古屋から和泉竜司、湘南から杉岡大暉、仙台から永戸勝也、横浜FMから広瀬陸斗を完全移籍で獲得。一シーズンで、他のJクラブから完全移籍で獲得した日本人が5人というのはクラブ史上初である。
 僅かなオフ、そして新監督の戦術の浸透に時間が足りなかったためか、1月28日のACLプレーオフで、鹿島はメルボルン・ビクトリーに敗れ、敗退が決定。ACLプレーオフで敗れたJクラブは鹿島が初となった。
 2月1日、水戸とのプレシーズンマッチ「いばらきサッカーフェスティバル」では、高卒新人の荒木遼太郎のゴールで1対0で勝利した。
 J1リーグの開幕節で、広島に0対3で敗れ、クラブ史上初の単独最下位スタートとなった。
 2月25日、Jリーグは新型コロナウイルスの影響により、2月28(金)から3月15日(日)に予定されていたJリーグおよびルヴァンカップのすべての試合に関して、開催延期を発表した。その後感染の拡大により、4月以降の開催も延期となった。
 その後、緊急事態宣言が発令され、5月下旬に緊急事態宣言は解除されたが、中断が続いた。そして、5月29日にJリーグは、J2とJ3は6月27日、J1は7月4日に再開すると発表。
 再開後の川崎戦、札幌戦、浦和戦に敗れ、開幕4連敗となった。開幕4試合でオウンゴールの1点のみの鹿島だったが、第5節の横浜FM戦で、上田の2得点などの活躍により、ようやく初勝利を挙げる。ザーゴ監督の戦術が浸透し始め、8月26日のFC東京戦から7連勝を記録する。
 連敗はあったものの、徐々に順位を上げていき、最終的な順位は5位でシーズンを終えた。

2021年度(飛躍が期待も監督解任、リスタート)

 2021年度は、2010年度以来、他クラブから完全移籍で獲得した日本人はなく、ディエゴ ピトゥカ、アルトゥール カイキ、新人6選手による補強となった。
 ほぼ毎年行われていた水戸とのプレシーズンマッチ「いばらきサッカーフェスティバル」は、新型コロナウイルスの影響により中止となった。中止になったのは、2014年に悪天候(降雪)の影響で中止になって以来2度目。
 シーズンが開幕し、開幕節の清水戦では、荒木遼太郎のゴールで先制も、1対3で逆転負けを喫し、昨年に続いて黒星スタートとなった。その後も、攻守に安定感を欠き、8試合を消化して2勝4敗2分の勝ち点8、暫定15位に低迷。4月14日、ザーゴ監督の解任を発表し、相馬コーチの新監督就任を発表した。
 相馬新監督初戦の徳島戦で1対0で勝利、その後4連勝を記録。ルヴァンカップのグループステージを1位通過、プレーオフステージも2連勝で、チームの立て直しに成功の兆しが見られた。
 ルヴァンカップのプライムステージ準々決勝では、名古屋に2敗で敗退。天皇杯は準々決勝まで進んだが、川崎に1対3で敗れ、敗退。
 リーグ戦は、チームの立て直しが見られたものの、下位チームへの取りこぼしが目立ったが、終盤の5試合では、関川や町田のセンターバックの成長もあり、安定した戦いが見られ、11・12月の月間優秀監督賞に相馬監督が選出された。
 終盤の巻き返しもあり、リーグ戦は4位で終了。今年度も無冠が決まった。12月5日、相馬監督の退任が発表。

2022年度(欧州スタッフ初招聘も頓挫、苦しいままのシーズン)

 2022年シーズンより、スイス国籍のレネ ヴァイラー氏が鹿島の監督に就任。欧州国籍のスタッフが加入するのは初となる。さらに、コーチに大宮と湘南でプレーした経験を持つドラガン ムルジャ氏(セルビア)、フィジカルコーチにマヌエル クレクラー氏(ドイツ)と、コーチ陣も欧州国籍のスタッフが加わる。
 水戸とのプレシーズンマッチ「いばらきサッカーフェスティバル」では、水戸に0対1で敗れ、いばらきサッカーフェスティバルで初めて敗れる。
 新型コロナウイルスのオミクロン株による入国制限により、レネ ヴァイラー監督らが来日できない中、岩政大樹コーチが暫定的に指揮を執ったJ1リーグの開幕節、G大阪に対して3対1で勝利した。3月から新規外国人の入国が認められるようになり、3月13日にレネ ヴァイラー監督がチームに合流した。
 ヴァイラー監督の初采配となった3月15日のルヴァンカップ大分戦では、3対3の引き分けだったが、リーグ戦初采配のホーム湘南戦で2対1で逆転勝利した。
 ルヴァンカップは、グループステージ第2節まで1分1敗だったが、その後4連勝でグループステージを首位で突破を決めた。プレーオフステージは福岡と対戦し、2戦合計で2対2だが、アウェイゴールで下回り、鹿島はプレーオフステージ敗退が決まった。しかし、プレーオフステージ第2戦の福岡戦が「声出し応援運営検証試合」に指定され、新型コロナウイルスの影響で禁止されていた声出し応援が復活した。
 リーグ戦は、鈴木優磨と上田綺世の2トップが躍動し、一時期首位に立った。しかし、7月1日、上田綺世のベルギー1部サークル・ブルージュへの完全移籍を発表。
 8月1日、ナイジェリア国籍のブレッシング エレケの加入を発表。ブラジル国籍および韓国国籍以外の外国人選手が加入するのは、エレケが初となる。
 上田綺世の移籍が発表された翌日の柏戦では勝利したが、その後は5戦勝利がなく、直近の状況や今後の方向性を踏まえ、8月7日にヴァイラー監督の契約解除を発表。翌日、岩政大樹コーチの新監督就任を発表。
 岩政新監督初戦の福岡戦では2対0の勝利。しかし、その後のリーグ戦は勝ちきれない試合が続く。天皇杯は準々決勝で神戸に勝利し、準決勝に進出したが、準決勝でJ2甲府に敗れ、決勝進出はならず、6期連続で国内タイトル無冠が決定し、リーグ戦は4位で終えた。

2023年度(「新しい鹿島を創る」完成せず)

 2022シーズン途中から岩政大樹監督が就任し、今季も岩政監督の下「新しい鹿島を創る」ことになる。2023シーズンは、サンフレッチェ広島から藤井智也、川崎フロンターレから知念慶、FC町田ゼルビアから佐野海舟を獲得し、新シーズンが始まる。
 宮崎キャンプ中に行われた徳島、岡山、町田とのトレーニングマッチでは3連敗、カシマスタジアムとサブグラウンドで行われた東京V戦では勝利したものの、毎年恒例の水戸とのプレシーズンマッチ「いばらきサッカーフェスティバル」は、0対2で敗戦を喫し、J2クラブを相手に1勝4敗。
 不安なシーズン前の成績だったが、開幕節のアウェイ京都サンガF.C.戦では、ピトゥカと新戦力の知念のゴールにより、2対0で勝利した。
 リーグ戦は、第3節の横浜FC戦でも勝利し、まずまずのスタートを切ったと思ったが、その後、勝てなくなってしまう。第5節の横浜FM戦の敗戦から4連敗を喫し、ホーム神戸戦においては、好調神戸、不調鹿島、現状のチームの状態がそのまま出て、1対5の大敗。
 序盤は4-1-2-3の布陣(途中で4-4-2も)で臨んでいた鹿島だが、第9節の新潟戦から4-4-2の布陣、攻守においてハードワークできる仲間隼斗と名古新太郎らを起用した結果、新潟に2対0で勝利し、以降5連勝で、復調気配が見えてきた。
 ルヴァンカップは、グループステージ第4節終了時点では最下位だったが、そこから2連勝でグループ2位となる。他のグループ2位チームとの結果により、グループステージ突破を果たした。
 天皇杯では3回戦で、昨年と同様、J2甲府に敗れた。ルヴァンカップのプライムステージ準々決勝、鹿島は名古屋に2戦合計1分1敗で敗退。リーグ戦では第27節で勝利して以降勝利がなく、最終節でようやく勝利し、リーグ戦は5位で終えた。12月4日、岩政監督の退任が発表。

今年

 2024年シーズンより、大分、町田、FC東京、C大阪で指揮した経験のあるランコ ポポヴィッチ氏を監督に招聘。再び欧州国籍のスタッフが加入した。そして、選手としてもヨシプ チャルシッチ(セルビア)が完全移籍で加入。欧州国籍の選手を獲得するのは、チャルシッチが初となる。オフに退団選手が多くあったが、ギリェルメ パレジ(ブラジル)、ジュビロ磐田から梶川裕嗣、新人選手として濃野公人(関西学院大学)が加入した。
 しかし1月19日、欧州国籍の選手として初の獲得だったチャルシッチに関して、来日後に実施したメディカルチェックの内科検査で問題が確認され、双方合意の上で正式契約を結ばないことになったと発表した。1月29日、アレクサンダル チャヴリッチ(セルビア)がSKスロヴァン・ブラチスラヴァ(スロバキア)より期限付き移籍で加入すると発表した。
 開幕節のアウェイ名古屋戦で、仲間の2ゴール、新加入のチャヴリッチのゴールにより、3対0で勝利し、最高のスタートを切る。その後は少し躓くも、第10節から11試合負けなしで、前半は2位で折り返す。
 新方式での開催となったルヴァンカップでは、初戦のJ3八戸戦で苦戦も、延長戦で勝利し、3回戦に進出。3回戦では町田に敗れ、敗退。
 後半戦に入り、鹿島は勝てなくなる。8月の第25節の鳥栖戦は快勝したものの、特にアウェイでの敗戦が続く。天皇杯準々決勝では、リーグ戦から先発全員入れ替えた神戸に完敗、第32節の湘南戦では、濃野の2ゴールで2点先制したものの、逆転負けを喫する。
 第33節のアウェイ新潟戦では3バックで挑み、4対0の勝利を収め、久々にアウェイでの勝利。だが、その翌日、ランコ ポポヴィッチ監督の解任、ミラン ミリッチコーチの契約解除、吉岡宗重フットボールダイレクターの退任を発表。3日後、後任として中後雅喜コーチの新監督就任、中田浩二氏がフットボールダイレクターに就任、本山雅志氏および羽田憲司氏がトップチームのコーチに就任すると発表した。